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z-bufferその奥は深いのか。
2007.09.30 Sunday
GPは霧にむせぶ
兵士(自衛隊員)も卒倒する炎熱酷暑の富士総合火力演習から一と月、本業の関係で日本グランプリに行きました。 富士スピードウェイは雨そして霧、高地の低温、寒くて死にそう。かつて鈴鹿で何度か雨に降られて半泣きになったことを思い出しました。 レースは、いきなりローリングスタート。31年ぶりの富士スピードウェイらしいといえばらしい、気合の入った荒れ方でした。途中で退出せねばならなかったものの、見ごたえのあるものでした。 とは言うものの、初めて見る人は、どう思われたでしょうか。 鈴鹿から移ったわけですが、残念ながら、運営にはいろいろ改善すべき点があると思います。 話は変わりますが日本グランプリにはいつもトヨタ応援席が区切られます。これが同じ服を着るところまではいいものの、変な応援グッズを使い高校野球みたいな異様に揃った応援をやります。日本とか韓国のサッカーとかプロ野球みたいで俺はすごく不快です。 イタリアではスタンドが赤く染まりますがこれは各自が勝手にやっていること。 いつか好き好きで持ち込んだ日本チームのチームカラーにスタンドが染まったら、それは素晴らしい。 究極的には個人スポーツであるF1には北朝鮮みたいな応援は不要だと思います。 そういった大雑把感が、残念でした。交通機関の設定にも言えると思います。 サーキット自体は、鈴鹿に比べると新しくきれいで、コースレイアウトも劣らず面白い。 隔年で両方楽しめるのはむしろ嬉しい。 上記の「大雑把」は「全体主義的」と言い換えることもできます。 2007.09.28 Friday
Crackdown
ジャーナリスト長井氏の死は、ビデオカメラとネットによって、鋭い槍となってミャンマー軍政に突き刺さりました。
回線に障害を加えることによって情報の伝播を抑えようとする幼稚な考えは、もともと核戦争によって破壊しつくされた世界で、生き残った回線を辿り通信を実現するインターネットの懸念の前には、一時的に効果はあったとしてもピントはずれの攻撃です。 そして一過性のニュース映像が、サーバの上で生き残り、リファレンスされていつでも知りたいものの基へ届きます。 彼らが潰していく速度より、情報が自らの複製を造りながらネットを走る方が速い。 しかし、スマートなテクノロジの屁理屈は、悪い夢のように撃たれてふっとぶ肉体の恐怖、理不尽さの前に無力に見え。 「そんなことはない」と言い切れずにいます。 2007.09.27 Thursday
no more blood, no more pain
忘れられないニュース映像のひとつに、南ベトナムの僧侶が座禅のまま焼身自殺しているものがあります。まるで木像のように崩れない姿と、周りで座り込み地面を叩き泣き叫ぶ人々。
それがゴ・ジン・ジェムに対するプロテストで、いわゆるベトナム戦争初期の出来事である事を知ったのは、バカな話ですが「気分はもう戦争」を読んでからでした。 既に死者が出、あろうことかパゴダの破壊も行われ、軍政はまた力で押さえこむのか。 僧侶たちはあの恐ろしく悲しいプロテストに類した行為に踏み切らざるを得なくなるのでしょうか。 その前に何かやることが。イタリア、イギリス、アメリカ、フランスが次々と軍政への非難のステートメントをあげ、経済封鎖を叫ぶ。 いっぽうわが国は、内輪の穏やかな政争にふけるばかりです。 ミャンマーの軍政権と中国。東シナ海への道。もしかして野望。 海自=太平洋最強(米軍を除く)の示威が、メコンの河口から投影されても良いはず。 ペルシャ湾の補給作戦、対テロの戦いと同じように、それは人道を謳ってもおかしくない。 それもまた、我々の曾爺さんあたりから続く野望の形ではあるのですが。 Mind Bomb The The. 2007.09.26 Wednesday
彼らとの旅
愛のひだりがわ (新潮文庫) 筒井 康隆 強烈なデジャ・ヴュに捕らわれ続けながら読み進み中。 猛犬デンは「群猫」の雄々しい猫たちと鰐を思い出させる。喰えない老人は神戸刑事の親父どのか。暴力は「霊長類南へ」から「大いなる助走」へ、社会の荒廃の全貌がつかめない。さながら「緑魔の街」。 ヒロインは芳山和子、あるいは七瀬。空色の髪をもつ少年。「彼」あるいはケン・ソゴル。 近作をサボって読んでないから、古いのばかり出てくる。 その古い味が、ジュブナイルだけがもつ興奮を呼び醒ます。 2007.09.25 Tuesday
月下の予定
短期記憶バッファが思いついたことなので、おっつけ忘れると思いますが、今日は中秋の名月というやつです。
いつだったか呑んだくれていた時、井伏鱒二の「厄除け詩集」というやつが素晴らしいから読むが良い。と託宣があり(くれたのが誰かは忘れた)、有名なこの詩に辿りつきました。 ■ 逸題 井伏鱒二 けふは仲秋明月 初恋を偲ぶ夜 われら万障くりあはせ よしの屋で独り酒をのむ 春さん 蛸のぶつ切りをくれえ それも塩でくれえ 酒はあついのがよい それから枝豆を一皿 ああ 蛸のぶつ切りは臍みたいだ われら先ず腰かけに坐りなほし 静かに酒をつぐ 枝豆から湯気が立つ けふは仲秋明月 初恋を偲ぶ夜 われら万障くりあはせ よしの屋で独り酒をのむ ■ ディテイル、そしてセリフがおりなす展開がすばらしい。 酒肴の景色、酒が来て居住まいを正すさま。これから酔っ払ってグダグダになるというのに、背筋を伸ばしてしまうあの感じ。 「われら万障くりあはせ よしの屋で独り酒をのむ」 日本中に散らばり、ひとり杯を傾ける呑んべ一人ひとりが、この一編のもとに酒友となる。 俺はそんな壮大かつちょっと傍迷惑なイメージを浮かべました。 厄除け詩集 (講談社文芸文庫) 井伏 鱒二 |