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z-bufferその奥は深いのか。
2006.07.26 Wednesday
ふたつの約束
海老沢泰久のノンフィクション「F1地上の夢」で、第一期ホンダF1参戦時、ドイツGPに出場したとき、ドイツチームが出場していなかった事もあり、枢軸仲間(?)のよしみで、ドイツのファンがホンダチームを強く応援してくれたというエピソードがあります。
ヨーロッパのプレスは、零戦=ゼロファイターのエンジニアがF1マシンを作った!と、日本から来たマシンに大注目したそうです。 監督の中村良夫は、もと中島飛行機のエンジニアで、三菱製の零戦が堀越技師長の横紙破りで、三菱ではなく中島の「栄」エンジンを採用していたから、まあ話としては合っています。 中村良夫は、入社のとき、本田宗一郎にF1への挑戦を迫り「おれはやりてえよ」と言質(?)を取ったというひとです。 極東のいち2輪車メーカーが、F1制覇を決意した1962年、4輪車すら始まったばかりなのに、本田宗一郎は「これからは空だ」と、航空業界への参入を宣言していました。 その意志は、実験機と、航空チャーター事業などで、いくつか形となりましたが、「実験機」と言い続けるホンダジェットの飛行と、2003年、GEエアロエンジンズとの合弁でGEホンダエアロエンジンズ社が発足した事で、航空機ビジネスへの参入があるのか、あるいはエンジンに集中するのか、行方が注目されていました。 そして、44年の時を経てついに「ホンダジェット」が航空機ビジネスに参入します。 1954年、マン島TT参戦を宣言した本田宗一郎の「檄文」の言葉を借りれば、「まさに好機到る!」でしょうか。 ホンダは、ジェットエンジンにおいてはGEエアロ・エンジンズと合弁し、とくにサービス面を補完するという手堅い展開を見せました。 今回、航空機そのもののビジネスのパートナーとして、米パイパー社を選びました。 パイパー社は1920年設立の歴史ある小型飛行機会社です。 そして、パイパー社を代表する飛行機は、1930年デビューの2人乗り単発・高翼単葉機J-3「カブ」。 簡単な構造、操縦のし易さ、頑丈さ、メンテナンスの簡便さ、廉価。 その素質が買われ、軍の練習機に採用され、大量に調達され、戦後、一気に民間に払い下げられ、日本で「セスナ」が軽飛行機を言うように、米国では「カブ」が軽飛行機の代名詞となりました。もちろん民間機としても大量に販売されました。 簡単な構造、操縦のし易さ、頑丈さ、メンテナンスの簡便さ、廉価。 同じ素質を持ち、同じ名を持つホンダのプロダクツ。世界中で、人々の生活をささえるバイク「カブ」。 狙ったわけではないでしょうが、はるか太平洋を隔てた、同じ名をもつ兄弟が出会ったかのようです。 企業が存在する最終目的、社会の為に何ができるか? ホンダにとってのもっとも簡単で明確な答えは「カブ」となるでしょう。 そのスピリットが、空を飛ぶ。 行く手に、光あらんことを。 2006.07.24 Monday
焼いた食パン4万3千88枚
まあ改めて申告するほどの事でもありませんが、なにか、こう、思想みたいなものを俺は持っていません。
拙(駄)文をお読みくださった方はお判りでしょうが。 そのわりには愚かで偏屈。 花森安治という編集者がいました。 「暮らしの手帖」という生活雑誌の編集長だったひとです。 この雑誌は現在も刊行されていますが、三十数年前、俺の母はこれを購読していました。 当時小学生だった俺はよく拾い読みしていましたが、「その斬新なレイアウトに心を動かされてデザインの道を志した。」なんて事は全く無くて、毎号繰り広げられる、衣類、台所用品、家電等の過酷な商品テストが、何より印象に残っています。 当誌は、完全な情報中立性を保つため、広告を載せないというコンセプトがあり、その裏付けあっての過酷さでした。 今年の春、「花森安治と暮らしの手帖展」という展覧会があり、その図録を同僚から借りて、当時を思い出したのです。 石油ストーブ・テスト。重ねて言いますが今から30年前。英国アラジン社、対流式ブルーフレームの圧勝。国産はほぼ全滅(別に普通に使えるわけですが、この記事の中では全滅としか言いようがありません) そして、ブルーフレームのパチもんを作ったあるメーカーに対して、花森の言葉。 ■ 「それでなくても、日本人はデザイン泥棒だという〈悪名〉が高いのに、こうして言いのがれようのないものを、また一つ、つけ加えたのです。 私たちは、日本人の技術を信じ、それに誇りを持っています。 それだけに口惜しいのです。 なぜ、こんなキンチャク切りみたいなことをしなければならないのですか。 なぜ、日本人の技術でブルーフレームにまけないものを作り出そうとしないのですか。」 ■ 当時の、この文章を憶えている訳はありません。今、2006年、この文章は、もろに涙腺に来ました。 花森は、垂れ流しのテレビの害を説きました。 「諸君サトーを警戒せよ」字面がキュートなこのコピーの記事は、人工甘味料チクロが問題になっている時期に、大量に砂糖を摂取する危険性について。大量に砂糖を摂取する事と、人工であるが故に使用量が僅かで済むチクロが、実は害が少ないのではないか?という説も紹介して。 キャラクター商品の氾濫を糾しました。 トースターのテストのタイトルは「焼いた食パン4万3千88枚」。 今だったら解ります。これはクレージーキャッツの名曲「五万節」です。 「一銭五厘の旗」に代表される詩のようなオピニオン。 花森は生活の向こうに国家を見ていたのだと、今は解ります。 しかし、それ以上に、俺の心を今ふたたび捉えたのは、まるで、世界を相手に戦っているような熱さです。 日本の技術は、成長しました。しかし要らないものも凄い勢いで、しかも凄い技術が投入され生産され続けています。 缶コーヒーという発明によって、大人が頻繁に砂糖を摂取し続けています。その一方で、フィンランドの甘味料がお菓子から砂糖を減らしました。 キャラクター商品はとてつもない大産業に育ち、日本を代表するものの一つです。 「暮らしの手帖」が提示し続けた質素で上質な暮らしは、「ロ○ス」という名前をつけられ、ファッションとして「消費」されるものとなりました。 花森安治のヴィジョンは、徒労のように見えます。多分そうなのでしょう。 彼が亡くなったのは1978年。バブルすら見る事無く戦列を去ったのです。 今、俺にはその徒労が価値をもって見えます。 そんなことは承知のうえ。理屈に合わない。間尺に合わない。何より俺が気に食わない。 そうして、ただひとり、世界を相手にして戦う。 こんな男を見習いたい。思想は別に欲しくはない。 2006.07.23 Sunday
教えたくもない
喫煙室にて。
Google Earthのデータが更新され、俺の家も写っていました。ちっちゃい家! なんか、ちょっと気分が悪い。 という話を同僚としていると「あの写真を撮る衛星は、好きな時に好きな所を撮れるのか?」と質問。 民間衛星だから、時間の指定は出来ない。場所は基本的に何処でもオッケイ。撮っちゃダメな場所はあるかもしれない。インド洋のディエゴ・ガルシア島にはわざとらしい雲がかかっているし。たまたまかもしれないけれど。 「アメリカは?」極東上空で眼を光らす赤外線静止衛星や、アメリカ以外の国からは「使い捨て」って感じの低軌道衛星の話とか。 「日本は一週間で原爆を作っちゃえるってホント?」ウソ。でも、とてつもない量のプルトニウムの備蓄は、原爆くらい持っていてもおかしくないと、ヨソの国には思われている。 われわれは2発も核兵器を喰らったから、もうゴメンだと思っている。世界もそう理解しているが、だから核兵器を無くそう。というのは日本人だけで、もうゴメンで、2度とヨソから喰らわない為に核武装してもおかしい話ではないと思っているのが世界。 灰皿で燃え尽きるたばこ。 2006.07.20 Thursday
On the Darkside of the street
俺も人並みに(?)SNSのメンバーだったりします。
いにしえのパソ通時代は、見知らぬひとに話しかける、というかレスを付ける労を厭いませんでしたが、最近はよほどの事がない限りそんな事はしません。 そういった怠惰なロクデナシをコミュニケーション空間(?)にサルベージするのがSNSの強みです。 知ったやつの居る店が入りやすいものです。 リアルの世界で、一見の店は入るのに勇気が要ります。とくに、店構えから客を峻別しているタイプの呑み屋は、かなりハードルが高い。しかしなんとか突入(気分的に。物理的にはおずおずと)して、アタリだったりするとこれは嬉しい。また、ハズレたとしても、タイプが合わないだけで別に邪見にされたりはしません。大抵。 一軒でも突破口を作り、しばらく通うと、自然にマスターや他の客から別な店の情報も得られ、やがて、黒い闇の固まりだった呑み屋街に、輪郭が見えて来ます。 こんな感じで、俺は地元の夜をうろつく事が出来るようになりました。 そういった店のひとつをネタに(ロックバーですが)誰かがSNSのコミュニティを立ててしまいました。 気がつくと、 「今日は○○さんと××さんと一緒でした!」 「今日はマスター以外SNS友さんでしたw」 「□□です!●●さん連れていって下さいメッセします。」 「□□さんコミュでの直メッセは注意して下さいね。」 おまえら毎日オフ会か。 いつかこいつらから登録申し込みが舞い込むのでしょう。 このバーの常連にはデジタルディバイドの向こうにいるひとも多く、俺も「パソコン持ってないから」と、かわしたいところですが、IT屋とバラしちまってますし。ああいやだ。 このバーは、俺がうろつくエリアからやや離れたところにあります。 メインエリアは、「ぐるなび」はもとより、雑誌「散歩の達人」、HotPapper誌にさえ見捨てられた対メディア暗黒地帯です。 しかし、ここは日本で最も早く100Mの光ブロードバンドのサービスが始まったところでもあります。 理由は古い呑み屋街であること。大阪有線の(今風に言えば)メタルケーブルが縦横に張り巡らされており、USENはその腐りかけたメタルケーブルをつたって一気に光ファイバーを敷設したのです。 俺の自宅はその恩恵を受けましたが、その呑み屋街では、腐ったメタルケーブルが残るのみです。 もちろん、軒先のすぐそこまでファイバーは来てはいるのですが。 |