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z-bufferその奥は深いのか。
2006.03.12 Sunday
デイジー、デイジー
先日、友人の家でのちょっとした晩餐に招ばれた。
ナイスなオーディオ機材でブラームスの協奏曲なんぞを聴きながら、いわゆる山海の珍味と美酒各種。すばらしい。 そのうちにブラームスは終わり、今日のテーマはいちおうクラシックだが、何をかけるかと。BGV代わりに流していたTVは、凶悪なバラエティが始まり、バラエティ嫌いの俺がキレそうになったので、DVDをかけようということになり、「2001年宇宙の旅」がセレクトされた。 こうなると音楽はかける必要は無くなり、壮麗な「ツァラトゥストラはかく語りき」に身を任せる。月の影から、太陽が昇る。逆光のフレアが十字を描く。 同席の1人が言う「ガンダムのオープニングはこれをパクったのかー!」「ガンダムってゆうなあ!」 そういえば、はるか20年前、下宿で友人と酒を呑んでいると、本作の猿人ごっこが始まることがあった。 唐突に1人が「ウキー!」と叫ぶと、面子は一斉に猿人になり、モノリス使用前のダメ猿人を演じる。そのなかで、一番キレた猿人っぷりを見せた奴が、モノリスを触る役になり、その他の猿人は「ツァラトゥストラ〜」をハミングせねばならない。 モノリス(大抵は冷蔵庫)を触ると、あとは全員進化して、手近な棒切れ(定規、布団叩き、サランラップの筒等)で誰彼無く飽きるまでしばき合うのである。閑話休題。 ひさびさの「2001年〜」は素晴らしすぎる。何もかもカッコ良すぎる。今は亡きパンナムのマークに目頭を熱くし、ペーストな宇宙食に「これこそが宇宙食だ!何がラーメンだこの軟弱もの!」と宇宙開発の現状を憂い、ディスカバリー号のアンテナが、後ろを向いていて、「地球と交信するから後ろ向きなんだ!」と今さらな発見をしながら、葉巻とかをバカスカ喫う。度数45の凶悪かつスパイシーな芋焼酎を嘗める。画面には衛星を遵えた木星の姿。大人はいいなあ。 さて、HAL9000が叛乱を起こす。ディスカバリー号の船外作業ポッドが登場。ハッチに描かれた「爆破ボルトに注意」のタイポグラフィが完璧。「あ、ボールだ」「こんどガンダムの話題を出したら殺す」。 ボウマン船長はHALの内部に入り、メモリ・モジュールを引き抜いてHALを殺していく。「デイブ、わたしは怖い」 どんどんバカになっていくHAL。 「わたしは歌を歌うこともできます」 「歌ってくれ。」ボウマン船長。 相手を殺しながら、その断末魔の歌を聴いてやる。 おお、これぞSF。これぞハード・ボイルド。 HALが歌うのは、IBMが世界で初めて人工音声でコンピュータに歌わせたデイジーの歌。 コンピュータを壊しているのではない。これまで成長した記憶=思い出をもつHALを殺しているのだ。 今までこの作品を何度も見て、気づかなかった。友人と、これはある程度歳をとらないと判らないタイプのシークエンスだと都合のいい解釈をしたが、やはりバカガキより大人のほうが断然楽しいのは確信した。 お前なんか大人とは言えん。という正論もあるだろうが、その場合はおっさんでかまわない。 2001年宇宙の旅 2006.03.04 Saturday
ケツの穴が小さい
“ゲイ映画”に出演したとして母校から縁を切られる
ひさびさにオゲレツの琴線に触れまくる素晴らしい事件です。 お察しのとおり、このタイトルを付けたいがため「だけ」にエントリしています。 まあ、俺にはおっつけ神罰が下るのでしょうが、どうせ極東の辺境の島で多神教、それも偶像から鰯の頭まで、なんでも信心する野蛮な民族が言っている事なので、神罰を下すに値するかどうかはよく研究してから判断して欲しいものです。 ネタがネタだけに、今回は「○ツ」表記ではなく丸出しで行きます。 2006.03.02 Thursday
恩讐の此方
イラク治安当局に逮捕された男が、日本人青年香田氏殺害を自供しました。
現時点(2月2日1530)では、調査中のようです。一時、朝日が「起訴」と流したので、ずいぶん日本の法執行機関もソデにされたものだと思いましたが。 無論現在も、外務省は確たる情報を摑んでいるようには見えません。そして、殺人なので警察が出張るべきだとは思います。イラクも日本もインターポール加盟国であることですし。残念ながらその動きは見えませんが。 今回、本物かどうか下手人は挙げられましたが、もう一度、陸自の撤退へのアジテーションが行われた事になります。裁判の後死刑にでもなれば、殉教者になるわけです。 この状況において、香田氏の父上にコメントを求めるのは不要だと思います。被害者の人権というものは日本のマスコミには無いといえるでしょう。 殺人を前提とする破壊活動に参加し、そのプロセスで死んでしまえば想像を絶する楽園に行けると思っている人間の前に、法は無力です。外務省は国際裁判の可能性を探すようですが、死刑ではない判決が出れば少しは感情的に違うかもしれません。 イラク。かの土地は毎日数十人単位の死者が出ています。そこで1人の外国人が命を落とすなど、瑣末な事なのだろうと思います。だから、日本国は何としてでも彼を救出する必要があった。イラクで起きている状態を「異常」と認識するために。 「何としてでも」という事に、当然殺人も含まれます。弱肉強食とかではなく「自国民の生命の保全」を遂行するためです。 結局日本政府には、その「保全」の覚悟が今もって存在せず、消極的な人命軽視になってはいないでしょうか。 人間は神ではない。他人への生殺与奪の権利を持たない。しかし不完全な社会システムの中で、誰かがその判断をし、実行しなければならない。 報道だけで、香田氏の父上の気持ちを推し量る事は不可能ですが、犯人がわかったところで、誰を憎めというのか、あるいは誰を許せというのか。 安らぐ事を拒否した心。極東と、はるか西方を修羅がつないでいます。 |