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その奥は深いのか。
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半可通
 俺は、意図して喫煙者を続けていますが、空間としては、喫煙者のいないところの方が好きです。飛行機のように「オマエがボサーっと吸って煙にしている空気が、どんなに大変な処理を経て乗客に供給されているのか判っているのか!」物理的に禁煙しかあり得ない場所もあります。

 新幹線も然りです。300km/hで突っ走る列車の窓は開きませんし、カーボンコンポジットを使ったり、ジュラルミンをアイソグリッド加工して軽量化を図るようなマシンに、必要以上の空調装置を搭載するのは全くソロバンが合いません。

 しかし、東京から博多まで行くと5時間程度かかる乗車時間に、喫煙が出来ないというのも、やや不粋な感じがします。飛行機が全面禁煙ですから、そのために新幹線をチョイスする方も居るわけで、JRとしてもそこにビジネスチャンスを見出しています。

 といったところで、走行試験が開始された次世代新幹線N700系が、座席を全面禁煙にすると発表されました。
 日本の喫煙愛好家を敵にまわした。と言うわけではなく「喫煙ルーム」を設置するという方法です。


 俺は、列車は全て禁煙で、長距離旅行列車にのみ「喫煙車両」を設置すべきだと思っています。割高料金にして、シートも少し上等にするぐらいで、大いにふんぞり返って喫煙を楽しんでもらう。その代わり他車両への移動は無し。

 「喫煙ルーム」は、下世話に言うと個室系の性欲処理のようなソリューションで、みんなせわしなく煙を吐いて、そそくさと出て行きます。「通路に煙やにおいが流れ出るのを防ぐ」程度の空調では、中に居る間に、衣類や身体に煙草のにおいが染み付きます。もうばっちぃついでに書いてしまいますが、そのにおいが体臭と混じりあうと、純粋な煙草の煙など比べ物にならない悪臭を放ちます。そんな奴らが隣に座ってくる訳です。しかも適当に薄れて(慣れて)きた頃にまた喫煙ルームへ悪臭の補充に行くわけです。
 喫煙者は義務を果たしていると、当然思いますから、非喫煙者は喧嘩をするか諦めるかです。

 N700のボディに使われた、アイソグリッド加工は、宇宙ロケットや戦闘機のジェットエンジンにしか使われないような工法です。
 日本の国情に合わせた、鉄道としては極限のエアロダイナミクスや、速度を上げながら使用する電力は従来型より少なくする動力系など、ありきたりな言い方ですがまさにテクノロジーの塊りです。

 そのハードの中に、喫煙者も、非喫煙者のことも、何も考えていない、まるで高校の校則のようなアタマの悪い内装=ソフトウェアを搭載するのは、何とか止しにして欲しいと思います。

| - | 22:33 | comments(0) | - | pookmark |
電車男
 サイバーパンクはラブ・ストーリィと相性が良い。

 デッカードとレイチェル、バトーと草薙素子、ボビィとアンジィ、オートマティック・ジャックとリッキィ。マルリィの破れた恋、ケイスの虚ろな狩り、逃げ場を失ってチバ・シティのカプセルホテルに潜む男の想う女。etc.

 サイボーグ、サイバースペース、肉体が意味を失う世界では、愛を描くとあっという間に純化してしまう。そして、最先端のガジェットで武装した古めかしいドラマが産まれる。

 サイバースペースと言うには下世話かと思うが、この下世話さこそがサイバースペースの手触りなのかも。電車男とエルメス。ギブスンが登場人物に名付けてもおかしくない。

 スレッドの時系列と決まり文句(AAも含めて)で構成される本作は、英雄伝説の骨格を持っている。電車男は、未だ従者(ヲタク)でしかないアーサー王。エルメスは聖剣エクスカリバー。そしてアーサーは岩(からんだクソ爺)からエクスカリバーを引き抜く。

 未だその聖剣エルメスを持て余すアーサー電車男の元に、夢を失いかけた騎士達が集結する。スレの住人と呼ばれる騎士。

 己が度量を知るが故に、電車男の器量を支援し続けるスレの住人達。本当に戦い、力尽きて死ぬ感じを表現する所がなんとも愛おしい。

 アーサー電車男のために屍れていくスレの住人騎士達は、残念ながらパルジファルや、モテそうなランスロットのような、円卓の騎士ではなかったけれど、シラノ・ド・ベルジュラックの様な、屈折と、奥ゆかしさと、弁の冴えを持った男(女子もですね)たちだった。
 ハンドルネームでしか知らない他人の恋路を、屍れながら祝福する様は、本当にシラノのように粋だったと思う。


電車男
電車男
中野 独人
| 魂の読書 | 02:49 | comments(0) | - | pookmark |
Standing by
 ふたりの男に「待っている」とメイルを送った。

 他に、書く事もなく。
| てめぇネタ | 18:16 | comments(2) | - | pookmark |
バットマン ビギンズ
 CSのチャンネル「CARTOON NETWORK」は俺のフェイバリットchのひとつですが、プログラムの一つに「ジャスティス・リーグ」というものがあります。「正義(の味方)連盟」。
 スーパーマン、バットマン、ワンダーウーマン、グリーンランタンらの、スーパーヒーロー達が力を合わせて悪と戦うドラマです。

 この中で、バットマンのみがスーパーパワーを持たず、鍛錬とメカの工夫で戦っています。「行くぞ!」のかけ声で他のスーパーヒーロー達が飛び去ったあとに、バットマンはくそ真面目な顔をしてロープ・ガンを発射、他のヒーロー達を追います。
 俺はこの時のバットマンが何とも言えず好きです。

 バットマンは、トラウマ・ヒーローと呼べると思います。ティム・バートン監督の「バットマン」は、肉体を鍛え上げた上で、それでも足らぬ強靭さを求め、装甲フェティシズムにまで達したバットマン=ブルース・ウェインが描かれます。
 甲冑のコレクションがそれを表しています。ブルースは壊れている。ジャック・ニコルソン扮するジョーカーは、「闇夜に悪魔と戦った事があるか?」と、ブルースの精神の暗部=装甲され尽くしても、なお血を流し続ける傷口をブルースに突きつけます。

 そして次作「バットマン・リターンズ」で、異形であるが故に、忌み嫌われるペンギン、地味な日常に押しつぶされ、ついに変身してしまったキャット・ウーマン。彼らの戦いは、ゴッサム・シティを巻き込みながらも、お互いの歪んだ心を知りながらのものになって行きます。誰ひとり、征服の驕りも、悪を撃破した高揚も、超能力の優越感も持たぬまま戦います。

 東宝が産み出した怪獣映画の、巨大で異形であるが故に、抹殺されて行く怪獣達に言葉があれば、この映画のペンギンとキャット・ウーマン、あるいはキャット・ウーマンとバットマンのやりとりとなるでしょう。

 そして、公開中の「バットマン・ビギンズ」。渡辺謙が出演し、松田優作以来の、日本人俳優のハリウッド進出が話題になりましたが、今回は他の俳優陣が豪華すぎてちょっともったいない感じもしました。
 リーアム・ニースン、ゲイリー・オールドマン、モーガン・フリーマン、ルトガー・ハウアー、そしてマイケル・ケイン。

 やはり名優マイケル・ケイン演ずる執事アルフレッドが白眉でしょうか。変に老けてもいない、柔らかい物腰。不敵なユーモア。ブルース家の執事に納まる前は、何を稼業としていたのだろうか?と思わせる、垣間見せる冷徹な凄み。

 本作は題名通り、ブルース・ウェインがバットマンになるまでの彷徨です。その周りを、上記のベテラン俳優が、がっちり固めます。ヒーローものに必要な、勧善懲悪の快感は存在せず、ただひたすら幼少期からのブルースを苛む「何か」を追い続けます。

 ティム・バートン版がバットマンのプロファイルを描いたのに対して、本作はそのプロファイルに至るまでがストーリィです。

 彼がマスク・ヒーローに変身するのは、正義でも、悪への挑戦でもなく、ましてや戦闘への獰猛な志向でもありません。ただひたすら、ブルースの心の暗部を追い続け、ついにバットマンという一種の「解」を見いだす。いや、彼が自らの暗部と、過酷な折り合いをつける。と言った方がふさわしいでしょう。

 ティム・バートン版の「闇夜で悪魔と戦った事があるか?」のセリフが、ずっと頭の中に浮かんでいました。

 じつに、物語が楽しめる映画でした。映像技術は、十数年の差を見せ、メカニック等のデザインはソリッドで非情さを際立たせます。が、前述の通り、メインはあくまでドラマで、俳優の演技を堪能できます。

 ハリウッドは最近、日本映画のリメイクが盛んで、企画に困っていると言われますが、「バットマン・ビギンズ」を見ると、「どうして?」と思えてなりません。

バットマン
バットマン
バットマン リターンズ
バットマン リターンズ
| 魂の映像 | 22:15 | comments(2) | - | pookmark |
ペガサスとフレディとF1と [7]
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 1994年5月13日。呪われた週末、サンマリノグランプリから2週間。1年間のグランプリの中で、最も祝祭としての色を濃くするモナコグランプリ。しかし、ウィリアムズのピットには半旗が掲げられ、もっともモナコにふさわしい男の不在を知らせていました。

 フリー走行開始。ザウバーのオーストリア人ドライバー、カール・ベンドリンガーが、コース中最高速をマークするトンネルの出口でクラッシュ。両足骨折、意識不明の重体。ザウバーは大事をとってチームごと棄権。ベンドリンガーはその後カムバックしますが、もはや速さは消え、ほどなく引退する事になります。

 不吉な幕開け。サンマリノの悪魔は、モナコにまで憑いてきたのか?
 だとしたら、ある男が、そいつを振り切りました。

 スクーデリア・フェラーリ。カーナンバー28。オーストリア人。
 ゲルハルト・ベルガー。

 セナと同じマシンに乗らなければならないという点において、最も不安を感じていたのはチームメイトのデイモン・ヒルだと思われますが、サンマリノからモナコに続く、呪いという程のアクシデントの続発に、最も心を苛まれたのは、ゲルハルト・ベルガーだと言えます。

 30歳でF1へ昇格した、母国オーストリアの遅咲きの後輩、ローランド・ラッツェンバーガーの死。そして、マクラーレン時代のチームメイト、セナの死。ベルガーは、セナが唯一、ナーバスになる事の無かったチームメイトでした。そして今日、またも母国の後輩が重傷を追い戦列を離れました。

 自らは、かつて、あのタンブレロコーナーで火災に遭い、九死に一生を得ています。この日モナコにいるレーサーで、彼ほど重苦しいものを抱えた男は居なかったでしょう。

 名門チームで走る大ベテラン。何度もスタンドを熱狂させ、ライバルに見せつけた豪快な速さ。もう走らなくても良い。ここでステアリングを置き、引退しても、誰ひとり「まだ早い」とは言えなかったでしょう。

 葛藤と逡巡があったといいます。しかし、彼は深紅のマシンと共にモナコの市街地コースへ走り出ました。それは蛮勇でも、恐怖の克服でも、奪われた仲間たちの復讐でもなく、ただ、レースをするために。
 そして、ほかのレーサーたちも、いつもどおり、マシンに乗り、コースへ出て行きました。
 ただ、レースをするために。


 ミッシング・マン・フォーメーション。

 パイロットが行う葬送の儀式。映画「ライトスタッフ」で見る事が出来ます。
 4機編隊。完璧なダイヤモンドフォーメーションを保ち、葬儀の上空へ飛来。エレメントを進行方向から見て右側、3番機が上昇、最後尾へ下がる。そこが失われた男のポジション。彼が永遠に列機であることを、いつまでも忘れない事を誓う、友情の儀式。

 スターティンググリッド。ポールポジションの位置には、ブラジルの国旗が描かれ、マシンの姿はありません。そこが失われた男の場所。
 2005年のシーズンをもってしても、未だ破られない6勝というモナコ・マイスターの頂点に立つセナ。
 葬送のフォーメーションラップで、彼にふさわしい唯一の場所です。

 コーナーの名と共に、思い出をかみしめるようなフォーメーションラップが終わると、グリッドは自然に戦いの場へ戻りました。
 オールレッド、スタート。

 優勝、ミハエル・シューマッハ。2位、マーティン・ブランドル。3位、ゲルハルト・ベルガー。
 「継ぐ男」が誰であるかを示し、圧倒的な速さで逃げ切ったシューマッハ、F3時代のセナの最大のライバルだったブランドル、そしてマクラーレン・ホンダ時代の盟友ベルガー。

 順位に意味を求める事は愚かである事は解っていても、失われた男との縁を思わずにはいられませんでした。
 しかし同時に、呪いとか、悪魔とかの単語が意味を失ったような気がしました。
 レースは続く。我々はただ、それを愛すれば良いと。

(続)
 
| Motor Sports | 10:44 | comments(0) | - | pookmark |